私の解釈
昨日夜、金曜ロードショーで、エヴァンゲリオン新劇場版が、放送されていました。
懐かしくて何となく見てしまったのですが、基本的にTV版のダイジェストみたいでした。
「これ本当に劇場版?」と思いましたが、よく見ると絵は綺麗だし、CGはパワーアップしているので、迫力がありました。
何より感心したのが、この作品(TV版)がもう19年前だという事です。
演出や画面の斬新さは、本当に素晴らしいと思います。
スピード感や躍動感、スケールの大きさには、思わず引き込まれてしまいます。
しかし、肝心のストーリーは、謎だらけで、その説明が無いまま、TV版は終わってしまいました。
その後、絶大な人気と、多くの謎に対して答えていないなどの批判から、劇場版が作られました(私は旧劇場版までは、すべて見ました)が、内容は正直「がっかり」でした。
結局、謎の説明はなされないままでしたし、庵野監督は、初めから考えていなかったんだろうと解釈しました。
それよりも、TV版の最終回の「僕は、ここにいてもいいんだ」と主人公のシンジ君が、最後にカタルシスを得るのが、庵野監督が一番いいたかったことなんだろうと思います。
あのラストは、ドラえもんの都市伝説の最終回、「実はのび太君は植物人間で、すべては、彼が見た夢設定」と同じ種類のラストではと思います。
私は当時「これはこれで、いいんじゃないか」と思いました。
ひとは、伝えたいテーマを、伝えたい層(個人でも)に、分かりやすく伝えるために、興味を持ってもらいやすいテーマを使って伝えます。
ただ庵野監督は、いわゆる「オタク」と呼ばれる層(主な視聴者)に対して、「強くなれとか、人生もっと主体的に生きろ」とか言いたかっただけではと思うのです(謎はどうでもよく、ただ興味を引くための材料)
その為に、わざわざ謎や巨大ロボット、美少女を出したりして、興味を引いただけではないでしょうか。
その証拠に作品中には、哲学的で印象深いセリフが、山ほど出て来ます。
ところが、幸か不幸か、作者の意図とは別に、作品がひとりでに歩き出してしまい、20年近く経ってからも、リメイクされています(伝えたいことが、伝わらないまま)
ファンからは、「お前に、説教されたくない」などの反発もあったのでしょう。
結局、監督自身も、未だにこれを超える作品(評価として)を生み出せていないので、そこにすがるしかないから、仕方なく作っている様にも見えます。
これは、なにもエヴァや、アニメだけでなく、最近のハリウッド映画や様々なコンテンツにも共通して言える事です(とにかく何でも続編、続編で引っ張ります)
これも良く解釈すれば、「ひとつの世界感が掘り下げられ、より素晴らしい物に磨かれて行く」とも言えますし、また、悪く解釈すれば「商業的過ぎ、作品の意図を捻じ曲げていいる」とも言えます。
以上、あくまでもこれは、私の勝手な解釈ですので、真実は分かりませんが、今後三週に渡って、新劇場版が放送されるそうなので、その辺り(私の解釈)が、どうなのか、変わるのか、変わらないのか、見極める材料にしたいと思います。