マサオのブログ

よもやま話ですが、何かのお役に立てれば幸いです。

民主主義とディベート

迷走していた新国立競技場建設案が見直され、いったん白紙に戻ることになりました。

これで一安心、といったところですが、意外とすんなり片付いたとも思いました。

これだけ無茶な構想になれば、みんな反対するし、当たり前といえば、当たり前なのですが、直前までは、やってしまいそうな勢いを感じていたので、本当に良かったです。

ただ少し残念なのが、21世紀の今でさえ、あのデザインを実現するには、無茶なお金が掛かり、しかも構造的に不可能だとも言われるところです。

それこそ大昔の漫画などでの21世紀のイメージでは、車が空を飛び、もっと進んだ科学の中で、私たちは生活しているものとばかり思っていました。

それは無茶だとしても、あの未来的なデザインの建物くらいは、普通に作れるものとばかり思ってたので、こんな結果になったのは残念です。

現実的には、やっと車の自動運転システムが、実現しそうな段階ですが、それこそ二、三十年くらい日本の街並み自体は、大幅に変わってはいません。

今回の件で思ったのが、リーダーシップと責任感の欠如のたまものだという事です。

さすがに話が大きくなり過ぎたがために、騒ぎになって中止になりましたが、もうちょっと金額が少額なら実現していた可能性も十分あります。

過去のさまざまな建設関連の公共事業で、とんでもない無駄工事の残骸は、全国に山の様にあります。

税金を使うので、どうしてもコスト意識のない公務員の無責任体質が出てしまいます。

それを監視し、是非を決めるのが、政治家(リーダーシップ)の役割ですが、今回は元首相の蜃気楼さんが、ラグビーワールドカップに向けて、どうしても実現させたいという個人的な思惑が絡み、裏で糸を引いている的なニュアンスが伝わって来ていたので、正直うんざりしました。

森さんで思い出すのが、小泉首相のころ、衆院解散の件で直談判をするために首相官邸を訪れたことです。

森さんが、会見が終わった後、記者団に「缶ビールと、干からびたチーズしか出さないんだよ!」と怒っていました。

それを見て、国の一大事なのに、困ったひとだなという印象を持ちましたが、今回も安倍さんとひと悶着あるだろうと予測していただけに、この結果にはちょっと拍子抜けでした。

あとで分かったことですが、「干からびたチーズ事件」は、小泉さんとのお芝居で、森さんがワル役を引き受けただけだと分かった時は、イメージほど分からず屋でもないのかなとも思いました(まんまと小泉劇場に乗せられてしまいました)

今回はワル役を引き受けなかったというか、その必要すらなかっただけなのかもしれません。

あのころと違い、今のマスコミは反政権に回る傾向が強いイメージです。

特に安倍さん個人に対して攻撃的な報道をするのは、いかがなものかと思います。

よく悪意をもってヒトラーになぞらえる報道がありますが、民主主義の正式な手続きで実現した政権を、軍事独裁政権と一緒にするのは馬鹿げています。

しかし、ヒトラーも実はドイツ国民に正式な選挙で選ばれており、その点では同じなのですが、安倍さんはヒトラーの様な私兵(ナチス親衛隊や突撃隊)は持っていません。

政権批判をしても秘密警察が、しょっ引きにはきませんし、もし次の選挙で負ければ、それでおしまいです。

橋下さんも「ハシズム」などと揶揄されていましたが、この前の選挙で敗退したからこそ、政治家を引退(恐らく一旦は)するわけですし、それは民主主義そのものの結果です。

安保法制の強行採決に関しても、民主主義である以上、手続き上何の問題もありません。

これに関して、ケヴィン・メアさんが、ある番組で面白いことを言っておられました。

「なんで、民主主義なのに『強行採決』なんて言うのですか」と。

「これは強行でもなんでもないあたりまえのこと」、「アメリカ議会ではだれもそんなことで文句を言わない」とも。

それを聞いて、確かに「なるほどな」と思いました。

まだまだ日本の社会は、民主政治についての認識が足りないのかもしれません(もちろん私を含めですが)

もっと教育でしっかりと、自由と民主主義について学ぶ機会が必要だと思います。

学生時代を通じて、そんな教育を受けた記憶が一度もありません(正直寝ていたことも多かったですが)

もっとディベートなどのプログラムを増やして、ひとりひとりが考え、自立する意識こそ大切だと思います。

私が行ったフィジー留学では、授業の大半がディベート形式でした。

あれは本当に良い教育システムだと思います。

たとえ自分の主義主張と異なるグループ側になっても、なった以上はそちら側目線で考えなければなりません。

この訓練をすることで、相手への理解が高まり、問題の本質が多面的に見えてくるのです。

何よりフェアな価値観の構築が可能です。

日本の将来の為にも、学校で是非ディベートの授業を増やしてほしいものです。