人馬一体
最近TVをまったく見ていなかったのですが、久しぶりに点けると面白い物が紹介されていました。
番組は村上龍さんのカンブリア宮殿で、孫正義氏がゲストでした。
いつもどういう訳か、深夜などに目が覚めて、なんとなくTVを点けると、面白い映画や役立つ番組をやっていたりするので、これも引き寄せかなと思ったりします。
眠かったので、孫さん出てるな位にしか思っていなかったのですが、途中から釘付けになりました。
阪大のロボット工学研究の石黒浩教授が出て来たのです。
リアルな(ちょっと気持ち悪い)アンドロイドを研究している人です。
ニュースで何度か見たことがありましたが、こういった番組に出ているのは初めて見ました。
いつも独特の風貌で、革ジャンにサングラス、ぼさぼさの頭で、まるで70年代の松田優作みたいです(恐らく好きなのでしょう)
しかし話す出すと、割と普通ですし、何より気に入ったのが、「研究とビジネスを分けるのは良くない」という意味の発言をされている所でした。
アカデミズムや権威主義の学者ではないことが、この発言からもうかがえます。
実際様々なビジネスと提携し、収益も上げている様です。
研究にはお金が掛かりますし、ちゃんとビジネスとして世の中に貢献しないと意味がない。
この考えには完全に同意です。
研究費(税金)泥棒の連中に、見習って欲しいものです。
しかし頭の硬い教授の中では異端児でしょうし、嫌われていそうな気もしました(本人は異にも介していないでしょうが)
私は、こういう人が大好きです。
歴史をひも解いても、こういった柔軟な発想が出来る人が、常に新しい道を切り開いて来ました。
別に学問だけでなく、政治、軍事、芸術、経営ビジネス、医療、芸能、スポーツなどありとあらゆる分野がそうです。
いつも思うのですが、まるでそこに法則があるかのようです。
今、人間がアンドロイドと同じ体験が出来る(一体化する)ジェミノイドというものを研究をされていて、別の部屋にいる人間が、アンドロイドについているカメラやセンサーを通じて他人と実際にコミュニケーションできるとのこと。
人がそのアンドロイドの肩に触れると、別室のセンサーを付けた人は、実際には触られていなくても、映像を通じて自分が触られている様な感覚になるそうです。
教授いわく、「人間の脳は割といいかげんで、自分の身体を触覚や神経で感じているだけでなく、映像などで簡単に錯覚しやすい」「肉体なんて単なる器で、いい加減な物」とのこと。
確かに目隠しして食べると、味が分かりづらいし、拷問で目の前で熱したアツアツの焼き鏝を、実際には熱していない物と直前にすり替えて当てると、熱くないはずなのに、当人がやけどをしたと勘違いして、何故か皮膚が焼けたという話も聞いたことがあります。
そして思い出すのが、「人馬一体」という言葉です。
F1ドライバーなどは、レース中は完全にマシンと身体が一体化(感覚的に)していると聞いたことがあります。
だからコーナーギリギリを、もうこれ以上ありえない程攻められるのでしょう。
そういえば、ゼロ戦の撃墜王、坂井三郎氏も生前のインタビューで、パイロットとして一番脂の乗っていた頃(ラバウル航空隊時代)は「自分の額がプロペラの先端で、両翼の先が中指の先だった」と語っておられます。
それこそ、子供が両手を広げて「ブーン、ヒコーキだー」と遊んでいるのは、パイロット究極の姿であり、あながち間違いではないということでしょうか(笑)
それくらい完全に機体を、自分の身体として感じていたそうです。
彼らにはとても及びませんが、私も以前の営業の仕事では、毎日、一日中何時間も広範囲を車で移動しており、峠などを超える時は、つい走り屋まがいのことをするのが癖で、いつの間にか集中力が高まり、車体との一体感があったのを思い出されます。
特に以前盗まれた愛車MRS(思い出すと哀しい)はミッドシップで、この感覚になり易かったです。
恐らく語源の「人馬一体」も、騎馬と乗り手が完全に一体化していたことから来たのでしょう。
これは道具ではなく、相手が動物なので、もっと凄いことかもしれません。
未来にはコンピューターと人間の脳を繋げる研究がすすめられていますが、これが実現すれば、SFのように、記憶さえ保存出来れば、アンドロイドとして永遠に生きられることも可能でしょう。
まさに銀河鉄道999の機械の身体です(これは倫理的な問題もあり、まだまだ先のことでしょう)
孫氏(兵法家ではない)いわく、今後30年以内には、パソコンのように各家庭で一台はロボットが活躍する時代がくるだろうとのこと(価格もパソコンと同じく、15~20万程度)
それこそウィルスミスの映画「アイ・ロボット」の世界が実現するかもしれません。
一番面白いと感じたのが、労働力がロボットになれば、移民などの人口問題も解消でき、日本がモノづくりでまた世界をリード出来るかもしれない、という事です。
そうなれば、益々単純作業に人手がいらなくなって、労働における人間に求められる能力のハードルが上がりますが・・・