時間と記憶
昨日、映画「JM」の記事を書きましたが、今日ヤフーニュースなどで、北野武監督が「日本映画会に苦言」などと、いろいろ出ていて面白かったです。
これもいわゆる「引き寄せの法則」でしょうか、偶然といえばそれで終わりですが、「噂をすれば影がさす」とは言ったもので、こういう事は多い気がします。
昨日から、日本シリーズが始まりました。
甲子園での阪神の試合を、中継で見るのは久しぶりです。
甲子園の雰囲気は、いつもとまったく変わっていません。
ここ数年、単に自分が見なくなっただけで、球場の改修工事などもありましたが、相変わらず甲子園の阪神ファンの声援はそのままです。
これからも恐らく、ずっとそうなのでしょう。
最近少し疲れ気味なのか、考えが感傷的になりやすく、なにを見ても、あれから何年経ったとか、あの時はどうしていたとか、すぐに考えがちです。
どうやらもうすぐ40代になるのが、自分の中でジワジワ来ているのかもしれません。
30代直前は、これで本格的な大人の仲間入りだと、むしろ嬉しかったのを覚えていますが、今回は何となくプレッシャーの様な物を感じています。
やはり体力の低下(まだ自覚はありませんが)や、人生の残り時間なども計算し始めるようになりますし、ブログなどを書いていると、自分の過去を振り返る機会も増えるせいか、あんなことや、こんなこともあったなんて、いろいろ考えていると、少し厭世観のようなものも感じてしまいます。
あっと言う間といえば、あっと言う間なのですが、それぞれのエピソードや瞬間を深く掘り下げると、本当にいろいろあったものだと関心します。
一期一会とはよく言ったもので、苦しい事や楽しい事、その時は何気に通り過ぎた時間でも、もう同じ経験は二度と出来ません。
別に若い頃に戻りたいとまでは思わないけれども、その瞬間、瞬間のイメージや記憶はとても鮮明で、いつでもそこに意識を飛ばすことが出来ます。
たかが40年余りでこれなのですから、倍の80年も生きたら、この脳内の記憶やイメージの量はどうなるのか、想像すると面白いです。
老人は毎日毎日「過去の思い出の中に生きる」などと言われますが、そんなことは若い頃は、とても想像がつきませんでした。
しかし、今ではその状態も十分可能だろうと、理解することが出来ます。
先日、人からキャンディをひとつ貰いました。
それはチェルシーのヨーグルト味でした。
もう何年振りでしょうか、日頃、自分で飴なんて買うことはまずないので、まだこの商品があったことに驚きました。
私が小学生の頃は、よくTVでCMもしていました。
キャッチコピーは「あなたにも、チェルシー、あげたい」です。
口に入れると、とても懐かしい味がしました。
包装は箱入りではなく、袋に変わっていましたが、中身はあの頃と何も変わっていません(昔より少し甘さ控えめになったかもとは思いましたが、味覚の変化でしょうか)
そういえば当時、遠足のおやつに大人気だったことも思い出しました。
一番人気はヨーグルト味ですが、バター味も結構好きです。
大きくなるにつれヨーグルトより、バター味の方を好むようになった記憶があります。
そんな訳で、野球中継や飴玉ひとつで、いろいろ記憶の扉が開くので、老後は退屈しないで済みそうです(笑)