マサオのブログ

よもやま話ですが、何かのお役に立てれば幸いです。

ブログを書く意義

かむろ坂の桜のつぼみも、大きくなって来ました。

いよいよ来週辺りは、開花するでしょう。

1年なんて早いものです。

昨年はここ(不動前)に来て初めての桜でしたが、これからは時間の感じ方も、もっと早まって来るのでしょう。

あまり歳はとりたくないものですが、こればかりは仕方がありません。

しかし、最近思うのですが、歳を取ることはそれだけ経験を積むことであり、自然と思い出が増えて行きます。

特にブログを書き始めてからは、自分の過去の経験や思い出に、ことあるごとに触れる機会が増えました。

たとえどんなお題が出て来ても、必ずどこかで自分の過去の経験と繋がっている物です。

もちろん、自分となにがしかの繋がりがあるからこそ、文章になるわけで、まったく知識や経験、興味もないことは、書けないし、そもそも書こうとも思わない訳ですから、これは当たり前だとも思います。

しかし、ブログを書かなかったら、決して思い出すことも無い出来事や、自分の過去に新たな発見や、意義を見出したりすることもしばしばあり、そういう意味では、日々とても良い機会を与えてもらっていると感じます。

この歳になって、まさしく日記(ブログ)を書く意義が、やっと理解出来た気がします。

子供の頃に、日記を書こうとして、3日と続かなかったのは、自分の知識や経験が圧倒的に不足しており、しかも書くこと自体に、何の意義があるのかまったく見いだせていなかったからでしょう。

文章力や表現力もなく(この点は今もそうですが、子供の頃よりはまだマシという意味で)、なにより「読む人もいないから」でしょう。

この点は、実は今もまったく変わっておらず、もし読む人が「誰もいなかったら」、書くことはしないでしょう。

別に特定の誰かを意識して書いている訳ではありませんが、もしも私が書いた記事が、誰かのインスピレーションになってくれれば、とても幸いです。

たまたま私のブログを覗いてくれた人が、その中の「たったひとつの言葉」に共感し、今取り組んでいる問題解決のヒントや、新たなインスピレーションを呼び起こしてくれるきっかけになれば、こんなに嬉しいことはありません。

そこで語られている内容も関係なく、たとえ意見に賛同してくれなくても、何かの足しになればそれだけで満足です。

こんな下手な文章でも書き続けている奴がいるのなら、私にも出来るというなにかの自信でも構いませんし、私の多くの恥ずかしい失敗談を反面教師にして頂いても、おおいに結構です。

毎日膨大な情報を、今はネットから頂いている訳ですから、インプットするだけでなく、ちゃんとアウトプットして、少しでも私の知識や経験が、どこかで生かされるのなら、私が生きた人生の、ささやかな意義の足しになるのではと思っています。