マサオのブログ

よもやま話ですが、何かのお役に立てれば幸いです。

ラウトカ学生寮強盗事件 その14

私たちは隣町のナンディに行くことになりました。

大型バスでも1度に寮生全員を運べないので、1便目が女生徒を中心に運び、折り返しの2便目で残りの男子生徒全員を運びました。

私は準備が出来ていなかったので2便目に乗ることになりました。

荷物の準備中も普通に立ち働いている私を見て友人に、「よくあれだけの怪我と出血で元気にいられるね」と感心されました。

確かに結構出血しましたが、私は日本で毎年3回の400ml献血を欠かさないので、少しクラクラする位は慣れているのでなんともありませんでした。

1便目のバスが戻るのを待って2便目に乗り込みました。

移動中のバスの中はみんな疲れと不安で、とても重い雰囲気で、誰一人として話をする人はいませんでした。

ナンディに到着したときはもう11時を大幅に過ぎていました。

会社が用意してくれた宿泊先のホテルはリゾートホテルでしたので、貧乏寮暮らしの私たちにすれば夢のような環境でしたが、疲れと事件後すぐなのであまりテンションは上がりませんでした。

ナンディには同じ会社が経営するもう一つの語学学校があり、説明によると明日以降そちらに転入するそうです。

その夜は時間が経つごとに興奮していたせいで気が付かなかった痛みがあちこち出て来ました。

はじめに結構パンチをもらっていたので、顔やあごも痛くさんざんでした。

ベッドに入ってもなかなか寝付けず、事件の場面が何度も思い出されて、つらかったです。

よく映画やテレビ等で軍隊が野営中に奇襲攻撃され、混乱潰走するシーンを見ますが、あれは本当だと思いました。

例え奇襲側が少人数でも、襲われた方はパニックになり我先に逃げだすのは仕方がないと思います。

状況を把握など出来ませんし、攻撃側の数が多いと錯覚してしまいます。

恐怖や逃げるのが先でとてものこと組織だった抵抗などは出来ません。

あとで分かった事ですが、寮を襲った強盗たちはたったの5人だったそうです。

もし相手が5人と分かっていれば、いくら剽悍なフィジー人でも圧倒的多数のこちらが勝つに決まっています。

それにしてもたった5人とは驚きです。

抵抗に遭うとはまったく考えなかったのでしょうか、馬鹿なのか本当にこちらをなめきっていたのかはわかりませんが、実際に襲撃に成功したのでそれなりに評価?は出来ると思います。

それとなめられた日本人の中でほんの少しでも抵抗した自分の行動は間違っていなかったと思いたいです。

相手が銃を持っていたのならいざ知らず、自分の部屋に鍵を壊して入ってくる連中を抵抗もせずに見過ごせば、私はその後の人生を「男」として生きていく自信がありません。

それと不謹慎かもしれませんが、強盗とやり合いながらあの瞬間恐怖と同時に、何と言うか「戦う喜びや面白さ」の様な「不思議な興奮」を感じている自分を発見していました。

それが私だけなのか他の人はどうかはわかりませんが、人間の持つ本能的な部分に触れた、とても貴重な経験だった気がします。

一歩間違えばこの世を去っていたかもしれませんが・・・