ラウトカ学生寮強盗事件 その30
裁判から約ひと月後、またホームステイ先に電話がありました。
近々また法廷を開くので証言してほしいとのことでした。
私は前回の様子から「もうこりごり」と思っていたので、断りました。
あとで聞いたのですが、前回参加のナンディの会社研修組もはっきり断ったそうです。
電話は例の女性検事さんでした。
もう帰国直前でしたので、頭の中はこれから先の日本での予定でいっぱいで、それどころではなく正直もうどうでもいいと思っていました。
共犯者の逮捕もはかどらず、しかも被告人の脱走をゆるしたラウトカ警察に失望していましたし、裁判所の対応の遅さや、裁判の進め方にも不満がありました。
何より全面否認している被告人達の態度が一番気に入りません。
電話越しに検事さんは必死で私をなだめ、食い下がりましたが、それでも私の気持ちは変わりませんでした。
しかし、今にしてみると協力すべきだったと後悔しています。
一番の被害者である私の証言は、彼らの判決や量刑にも影響力があったと思われるからです。
罪を犯した人物を裁くのは並大抵のことではありません。
冤罪は絶対にあってはならないし、被告人の社会復帰や更生の可能性も考えて量刑も判断しなければなりません。
その為に多くの人の労力や時間、そして税金が投入されています。
司法制度は私たちの生命、財産、人権を守るうえで欠かせない物であり民主主義の根幹でもあります。
自分は外国人とはいえ、そこにもっと協力するべきだったと思います。
犯罪は人々の生命や財産を脅かし、被害者に癒えない心の傷を与え、被告本人の家族や人間関係にも取り返しのつかない迷惑をかけます。
そんな社会そのものを破壊する行為を犯した人物は許してはならないし、きちんと裁かれるべきだと思います。
あの時の私は、自分の立場や気持ちにばかり集中していて、そのことに気づきませんでした。
面倒だとか、被告人に会うのが不愉快だとか、どうせ改心なんかしないだろうと言ったネガティブな思いが先だってしまいました。
しかし、あの時はいろいろ不満があったにせよ、そんなことは関係なく、自分自身が「どうあるべきか」が問われていた気がします。
社会正義の為などと格好をつけるためでもなく、かといって許せない怒りや復讐などでもなく、自分自身の「あり方」の問題として参加すべきでした。
自分の利益だけに集中するのか、それとも他人のために自分に何が出来るかを、考えるのかで人生は大きく変わります。
そのひとつひとつの判断の積み重ねが人生を左右するのです。
自分の利益や欲望のみに集中しきったなれの果てが、今回の被告人達であり、犯罪の本質なのかもしれません。
あの時、私は被害者とは言え、被告人と変わらず自分の気持ちや利益にのみ集中してしまったのではと思いますし、また拡大解釈をすれば、その行動の動機付けは彼らと同じではなかったかと反省しています。
当事者になった以上、最後まで真剣にこの出来事と向き合い見届けるべきだったと思いますし、今思えば帰国間際だったにせよ何か方法はあったのではと思います。