ラウトカ学生寮強盗事件 その31(最終回)
これまで、今から4年前に留学していたフィジー共和国のラウトカタウンで経験した強盗襲撃事件の回想録を、長々と書いて参りましたが、今回が最後でございます。
私はこの出来事から本当に多くの事を学びました。
ひとつは、「人生いつ修羅場が来るかわからない」です。
それまで襲撃される可能性や兆候、危機感はありましたが、まさか自分の部屋で夕食後のいちばんくつろいでいる時間に襲われるとは思ってもみませんでした。
しかし夜中では、寮の外の2重扉も全部閉まっているし、昼間は空き巣狙いの未遂はありましたが、流石に明るくて出来ません。
その意味では、強盗達はわずか5人で襲撃を大成功させたと思います。
完璧な奇襲攻撃でした。
彼らは兵法を心得ていると言っていいかもしれません。
そのあと欲をかいて再侵入を図り捕まったのは間抜けですが。
3・11もそうですが、修羅場は突然に訪れます。
これは大切な教訓だと思います。
そしてもうひとつは、「暴力は理性を失った状態で行われる狂気」です。
ナタを人の頭に躊躇することなくフルスイングする行為は、狂気に支配されているとしか思えません。
私も1人を取り押さえモンキーレンチを持ちましたが、少なくとも頭を殴ることは出来ませんでした。
殺害してしまう恐れがあるからです。
しかし私も頭をやられた後は逆上し、一瞬理性が飛びそうになりましたので、それは人間の本能的な部分かもしれません。
そしてもうひとつが「犯罪の多くの原因は突き詰めれば貧困の問題」です。
強盗たちが寮を襲撃したのも、そのあと病院でレントゲン技師が私を騙そうとしたのも、フィジーが貧しい国で、仕事が無く、賃金も安く、また十分な教育を受ける機会も少ないことと無関係とは思えません。
日本にいると分かりませんが、海外に行くと、この国は本当に豊かで、モラルが高く、安全で素晴らしい国だと気付かされます。
そして最後が「どう行動するかはそのひとの『あり方』で決まる」です。
事件のあと怪我人の私を病院まで無料で運んでくれたインド系タクシードライバーの「ビシュアさん」に私は頭があがりません。
後日、本人に聞いたのですが、私は頭からの出血がひどく、車内の後部座席のシートが血だらけになり、シートを全部交換したそうです。
その代金を私に請求することもなく、その後も普通に利用させて下さいました。
彼の親切心は素晴らしいと思いますが、何よりそこには彼自身のプロとしての「あり方」がそうさせたのではと思います。
前回も書きましたが、ひとは理性やモラル、利害や価値観など様々な要因で行動しますが、最終的にはその人の「あり方」で人生が決まると思います。
「どうあるべきか」はすべて自分で決められます。
それが明確になっていればいるほど「突然の修羅場」にも対応できます。
私は自分の男としての「あり方」に従って強盗に抵抗し、ビシュアさんは、自身のプロドライバーとしての「あり方」に従い行動されました。
そして被告人や裁判、社会正義への「あり方」が明確でなかった私は、自分の都合だけで2度目の法廷には出廷しませんでした。
状況証拠からみても被告たちの有罪は免れ無いでしょうが、今では出廷しなかったことを反省し、後悔もしております。
仕事、趣味、人間関係など、この「どうあるべきか」は常にどんな場面でも当てはまる原則です。
そしてビシュアさんの様に「人のために何が出来るか」を基準に行動できる人は本当に素晴らしいと思います。
死の淵を少しだけ覗いたその後の私は以前よりも強くなりました。
なにより「誰もがいつかはこの世を去る」と言う当たり前ですが、日頃忘れがちな事実を理解させられたことで、行動が変わり、その後の人生が加速しました。
日本に帰国後、今の業界に入り、昔からの夢だった「いつか自分でビジネスを起こす」をわずか三年で実現させました。
人生は待ったなしです。
それはいつか必ず終わるからです。
自分のやりたいことを最優先しましょう。
修羅場も待ったなしです。
それも「あり方」が明確なら対処出来ます。
常に全力で生きましょう。
そしてこれからも「どうあるべきか」を常に自分自身に問いかけながら・・・