パーフェクトワールド
昨日観た、映画について書きます。
私はTV放送の映画を撮りためておき、いつも気に入った物だけ観るのですが、昨日観たのは「パーフェクトワールド」でした。
主演、ケビン・コスナー、監督、クリント・イーストウッド
93年公開ですので、もう20年前の作品です。
観るのは今回2回目で、最初に観たのは、もうずいぶん昔です。
私はクリント・イーストウッド監督の作品が大好きなのですが、彼の作品を観たのは、この作品が最初でした。
それまでクリント・イーストウッドと言えば、私の中では「ダーティーハリー」と「タレント市長(カリフォルニア州カーメル市)」のイメージしかなく、名優、名選手は、名監督ならず(意味はそれぞれ違いますが)のことわりがあるため、作品自体はあまり期待せずに観ました。
ところが作品の出来の良さに大感動し、涙が止まらなかったのを覚えています。
これを機に、私はイーストウッド作品の虜になり、彼に対する認識が、大きく変わりました。
単なるハリウッドスターから、「スーパースター」そして「名監督」へ。
彼の作品には、世の不条理に対する怒り、哀しみ、皮肉とユーモア、ぬくもり、そして愛があります。
そこには、独特のヒューマニズムがあふれています。
彼は、それを映画で表現できる一種の「哲人」だと思います。
映画は、脱獄犯と人質の男の子との奇妙な逃避行、ジャンルはいわゆる「ロードムービー」です。
私はこのジャンルが大好きで、「イージーライダー」「幸せの黄色いハンカチ」「スタンド・バイ・ミー」「赤ちゃん泥棒」「ミッドナイトラン」など、挙げて行けばきりがありません。
現実からの「逃避行」や「人生は旅そのもの」に、なぞらえられますので、映画としては比較的作りやすいジャンルなのかもしれません。
父親からの1枚の絵葉書を頼りに、脱獄までしてアラスカを目指す主人公ブッチ。
元をたどれば、その父親に虐待され、人生を狂わされたにもかかわらず、愛と繋がりを求めてしまう悲しき行動原理。
誘拐した少年の境遇に同情し、そこに自分の過去を投影して、ひとりの人間として尊重する心理。
一夜の宿と食事を提供してくれた、親切なアフリカ系の貧しい小作農の男性。
その男性の自分たちへの親切からは、とても考えられない我が子に対する暴力や、未熟でいい加減な振る舞いに激怒し、主人公が銃を突きつけながら「愛してると言ってやれ」と言った場面は、彼の失った人生や、世の中への怒りの根源そのものだと感じました。
人間の未熟さ、無責任さによる弱者への暴力、そこに断ちきれない社会の「負の連鎖」を見ます。
1度目に観たときは、このシーンとそこに込められた作品のメッセージに、まだ若かった私は、非常に共感したのを覚えています。
しかし2回目の昨日は、ラストシーンでクリントのセリフ「俺にはわからん、俺に何がわかる」にこそ、深い感銘を受けました。
辛い経験をすればこそ、それを理解と優しさに変え、少年に愛を示した主人公。
アフリカ系の父親にしても、暴力を振るいながらも根底では我が子を愛している。
主人公の父親も、恐らく同じ気持ち・・・
「完璧な世界」とは何なのか、本当に正しい答えは誰にも分からない。
物事の一面だけを見て、被害者意識を感じていた単純な若年時に比べ、今回は私自身の物事の見方の多面性や、考え方の広がり、人生経験を確認出来た意義深い時間になりました。
本当に素晴らしい作品だと思います。