情報の取り扱い
先日、ノロウィルスについて書いた記事で、間違いが発覚しました。
死亡者が出た病院と出なかった病院の処置について書いたのですが、あれはノロウィルスではなく、大腸菌O157の間違いでした。
記事のその部分は、修正いたしましたが、この場を借りてお詫び申し上げます。
こんな風に記憶違いで、いい加減な情報を書いてしまう事が、今後もあるかもしれませんし、すでに書かれている他の記事の中にも、まだあるかもしれません。
今後も気が付けば、分かる範囲で修正して参ります。
記事を書けば、友人、知人だけでなく、不特定多数の人に読まれるので、情報発信は責任を持って当たらなければと改めて感じます。
しかし、人の記憶や噂は、いい加減なものであり、私にも経験がありますが、いつの間にか噂が独り歩きしてしまう現象は、本当に恐ろしいと思います。
それだけにマスコミの影響力や怖さ、責任の大きさを感じました。
バイアスのかかった情報を、意図的に流す事も出来ますので、凄い力だと思います。
ネットで「マスゴミ」と揶揄されるのもうなずけます。
それだけに、情報の裏読みが出来るには、豊富な知識や人生経験が必要ですし、ネットや他の媒体などで、複合的な情報収集が必要だと感じます。
この情報収集力+情報分析力を磨くことが、人生では必要不可欠な要素です。
それによっては、大げさでなく人生を左右しかねません。
私も過去にいい加減な情報収集で、就職先を決めて後悔したり、間違った判断で失敗した経験が沢山あります。
それらも、言い方を変えれば、「情報の取り扱いを間違えた」からだとも言えます。
収集、分析、判断、このプロセスを間違えると、大抵失敗します。
優秀な戦国武将ほど、情報収集に力を入れていたのもうなずけます。
織田信長は、絶対的不利な状況を奇襲攻撃で勝利した「桶狭間の戦い」の論功行賞で、今川義元を打ち取った毛利新助ではなく、義元本陣の位置を伝えた梁田政綱に、一番手柄を与えました。
この情報が無ければ、奇襲は出来ず、逆転勝利もありませんでした。
(桶狭間は、破れかぶれの正面攻撃だった説もあります)
これは情報の価値、その位置づけの大切さの教訓的エピソードです。
それとやはり何といっても現場主義です。
直接現場に行き、自分の目や耳で、情報を収集するか、もしくは直接経験した人間の話を聞くことの大きさは、計り知れません。
先日、ある友人が福島で除染作業をした話を聞かせてくれました。
作業や福島の現在の実態は、報道などで持っていた私の想像と随分違っていました。
話を聞いて、何事も直接触れてみないと分からないなと、改めて感心しました。
情報の取り扱い力は、健康と同じく、万人に必要な要素で、マスト(must)だと思います。