マサオのブログ

よもやま話ですが、何かのお役に立てれば幸いです。

生涯学習講座

早いもので、今日で2月も最後です。

この時期は早く過ぎるので、1月は「いぬ」、2月は「逃げる」、3月は「去る」と昔からいわれていると、小学生の頃、通っていた学校の校長先生が、月曜の全校朝礼で教えてくれたのを思い出します。

今でもこの時期になると必ず思い出すので、どうでもいい知識でも、子供の頃に覚えると頭から離れません。

この校長先生の話がとても長くて、この時期は寒いのもあり、とても辛かったのを覚えています。

夏は夏で、熱中症(当時は日射、熱射病)で倒れる人も続出しました。

あるとき生徒が担任に、なぜいつもあんなに校長先生の話が長いのか尋ねると、「あれは大人になった時、長い話を聞く忍耐力を鍛えるためや」といっていました。

「ホンマかいな」と思いましたが、真偽はともかく、お蔭で確かに忍耐力は付いたと思います。

当時(80年代前半~中ごろ)の高齢の先生は、軍隊帰りの人もいて、結構怖かったです。

集会の整列も、マスゲームの様に完璧に並ばされました。

私の学校は、男子は真冬でも一年中半ズボンで過ごすよう強制された(風邪や怪我人は例外)ので、今思えばとんでもない決まりでした。

今は学級崩壊や、モンスターペアレンツのお陰で、学校の様子も随分変わった様ですが、日本の学校教育のあり方は、今も昔も迷走し続けている感があります。

教師は、いい人もいましたが、変な人も多かったです。

よく日教組の戦後教育の責任(悪い評判)を聞きますが、当時はそんなことは知りませんでしたし、変わった先生だなと思うくらいでしたが、子供の目から見ても、とても良い事が書いてあると思える道徳の教科書を、向きになってさんざんこき下ろしたりする先生もいましたので、とても不思議でした。

音楽教科書の最後の、君が代が載っているページに、読めない様に上からプリントをのり付けさせられたこともありました。

もしかしたらあれは日教組の人だったのかなと、今思えば納得させられますし、子供たちに自分たちの思想を押し付けよう(姑息ですが)としていたなんて、考えただけでもぞっとします。

今ではマスコミやネットで日教組の評判をよく見ますし、世間の批判も悪いため、力がだいぶ弱まっているそうです。

それはともかく今の教育は、世の中の動きや進歩に対応していません。

大学を出たといっても、物を知らない人が多すぎます。

それで学士号を持っているといわれても呆れるばかりです。

受験対応ではなく、もっと早くから専門教育をした方が、本人の将来にも役に立つし、学校は常に社会人になった時のことを考え、そのための準備をするための場所でなければならないと思います。

「自分の生活を良くするため」「自分らしく生きるため」そして、「より良い社会を作るため」だと、生きるあり方や原則を一番教える必要があると思います。

仕事や生活の中で、なにかひとつでも、誰かの成功例を研究し、それまでと違う方法を学び実践すれば、結果は一気に変わります。

今、大学の生涯学習講座が増加傾向にあるそうですが、とても素晴らしい事だと思いますし、私自身にも必要だし、非常に興味があります。