マサオのブログ

よもやま話ですが、何かのお役に立てれば幸いです。

記憶の性質

まだまだ寒いです。

昨夜は風の音がうるさい位でした。

先日、Eテレのスーパープレゼンテーションという海外の番組で、記憶のフィクション性について心理学者のエリザベス・ロフタスさんという方が、講演されていました。

この番組は時々見るのですが、その道の専門分野の方が、様々なテーマを紹介してくれるので非常に面白いです。

講演者は学者さんが多いのですが、欧米の方々なので、みなさん話すのが上手く、プレゼンテーションをする機会や教育を受けていない日本人には、これは難しいだろうなと思います。

私もフィジー留学では、しょっちゅう何かのテーマを与えられ、クラスメイトの前で、プレゼンテーションをする機会がありましたので、あれはとても良い経験でした。

社会人は仕事によってはプレゼンもあるし、たとえ無い仕事でも、伝える力は、人間誰しも必要な能力ですので、日本の教育現場でもこういった授業を増やして欲しいと思います。

さて、記憶のフィクション性についてですが、要約すると、人の記憶はとても曖昧で、その時の状況や、精神状態、質問の仕方でも変わってしまうし、自分で勝手に記憶を再構成していることを様々な例を紹介しながら、説明されていました。

エリザベスさんの説は、最初は中々学会や世間に受け居られずに、かなり苦労されたらしいですが、現在では認められているそうです。

その人の記憶はその人の人生そのものです。

しかし、人は自分を守る為に主観的に記憶を書き換えてしまうのです。

それは意図的にも無意識化でも起こり得るので、絶対に客観的な事実の証明が必要だとの事。

そうすることで裁判などでの、冤罪の可能性を下げる事が出来るし、間違っているかもと考える事で、自分自身の記憶や意見を客観的に見ることが出来、他人の意見にも寛容になり、視野が広がり問題解決にも役立てることが出来ます。

そこで思い出したのですが、シュワちゃんの映画、トータルリコールや、押井守監督のアニメ映画、攻殻機動隊でも疑似記憶を与えて、人をコントロールするシーンが出て来ました。

あれは記憶そのものを外科的に埋め込むものですが、そこまでしなくても、それこそマインドコントロールで、人を操作することは可能です。

恐ろしい事に、この方法ならば他人でなくても、自分自身にでも可能(思い込み)なのです。

考え出すと怖いですが、これも使い方次第で、大きな結果を出すことが出来ます。

いわゆるイメージトレーニングも無意識に働きかけるものなので、その類でしょう。

大切なのは客観性を持ちながらも、意図的に自分や周りの人々にプラスのイメージを与える事、そして、いわゆる「嘘も方便」も場合によってはありだと思います。

それで良い結果が出るならば、願ったりかなったりだからです。

どんな過去でも、プラスに解釈して再構成すれば、素晴らしい結果に繋がります。

そのためにも、くれぐれも自己中心ではなく、モラルと良心を持って、行動することが求められます。

あり方や原則がゆがんでいると、恐ろしい結果に繋がります。

被害者意識を持った復讐者になるか、出来事をプラスに解釈する成功者になるかは、結局は自分のあり方次第でしょう。

人の記憶は曖昧で、自分でコントロール出来ると知っているだけでも、色々な面で人生が変わります。

そのことを知った上で上手に活用しましょう。