マサオのブログ

よもやま話ですが、何かのお役に立てれば幸いです。

バリア・アリー

先日、テレビ東京ガイアの夜明けで、「バリア・アリー」という考えを知りました。

バリア・フリーは有名ですが、アリー(あり)です。

番組では、介護施設「夢のみずうみ村」を紹介していました。

施設内は段差や、障害物がいっぱいで、手すりもない、身体の不自由な高齢者には危険がいっぱいです。

しかし、ここでは、それを意図的に行っているのです。

代表の藤原茂氏は、昔、理学療法士をされていた時に、ある患者さんから「あなたのため(介護する側)の介護ではない」「私のため(患者の立場からの)の介護なのよ」という意味の事(ぼーと見ていたので正確には覚えていませんが)を言われ、その言葉が、彼自身の介護のあり方を、考えるきっかけになったとの事。

それであえて不自由な環境に、適応する努力をしてもらうことにより、そこから患者自身の生きる力を引き出そうとする方向に向かい、その目的を実現するためにこの施設を作ったとの事。

見ていて危なっかしいのですが、確かにそこにいる人達は、いきいきとされていました。

私も10年以上前に、当時勤めていた仕事(お手洗いの器具の点検作業)で、大阪郊外にある何件かの介護施設に出入りしていました。

施設内はどこも、もちろんバリアフリーで、内装もとても綺麗でシステマチックなのですが、お年寄りたちは、ほとんど動かず、スタッフだけが忙しく動き回り、全てが受動的で、それが何となく奇妙に感じられました。

お年寄りからは、みんな何となく生気が感じられないのです。

これは当時の私の印象ですが、食事もテーブルに並ばされ、まるで配給の様に与えられ、働くスタッフは人間相手というよりは、工場で作業している様にも見えましたし、まるでそこが人生の墓場の様に見えました(あくまでも私の主観です)

なにもかも、やってあげていては、余計に衰えます。

脳や筋肉、神経も使わなければ確実に衰えます。

過保護は、一見すると優しさにも見えますが、本当にそのひとの為になっているとは言えない部分もあります。

もちろん重度の介護者は別ですが、「自分で出来る事は自分でやる」という姿勢は、とても大切ですし、そのひと自身にとってもプラスです。

私が以前勤めていた整骨院の院長も、同じ考え方をする人で、なるべくお年寄りの手助けをすることなく、何でも自分でやって頂く(着替えやベッドの介助など)方針でした。

重度に不自由な人は別ですが、中には元気なのにどうしても甘える人がいるものです。

しかし、高齢でも健康で元気な人は、皆さん間違いなく生活や性格も自立しています。

中にはプライドが高く、自らこちらの手助けを断る方もいらっしゃいます。

日本は、これまですべてが過保護社会でした(世界で唯一成功した社会主義国家とも)

弱者切り捨ては問題ですが、これまでと違い、それが本当に必要かどうかを見極め、国や個人も、自立と自律を目指す社会作りが、求められている気がします。

本来、バリアが有るのが人生です。

それを自ら克服できる力や知恵を身に付ける事こそ、幸福の実現であり、本当に幸福な人生は、そこにある気がします。