受け継がれていく
先日散歩途中に、いつもジョギングの時に前を通っている古いお寿司屋さんが、閉店(廃業)していました。
とても古い個人営業のお寿司屋さんで、前を通るたびに、よく頑張っているな、店主は何代目かなと気になっていました。
東京に来て感じるのが、こういった老舗の商店が、街中に今でも普通に残っていることです。
私の故郷の大阪市内では、場所にもよりますが、もうほとんど無くなりつつあります。
子供の頃、近所の商店街には、それこそこういったお店が沢山並んでいましたが、二代目や三代目が継いで、リニューアルされている場合や、伝統工芸的な本当にゆるぎない需要がないかぎり、今ではもうほとんど残っていません。
これも時代の流れと思っていましたが、東京にはまだ結構残っているので、そこは流石だと思っていたのですが、ここ一年を見ても私の近所(不動前)では急速に閉店しています。
いよいよ、首都圏にもこういった流れが来たのかと実感します。
表の張り紙には、長い間のご愛顧の感謝と「どうぞご自由にお持ちください」と什器類が、置かれていました。
別にそのお寿司屋さんには、縁もゆかりもありませんし、食べにいった事すらないのですが、なぜか自分の子供の頃、近所にあったお寿司屋さんと重なって感じられ、寂しく思えてなりませんでした。
このメランコリックさは、私の性格なのか、根がネガティブなのかは分かりませんが、昔から、なぜかそんなところがあります。
店主が高齢で後継者がいないんだとか、この町内の歴史や思い出が失われるとか、かわいそうだとか、もったいないとか、余計なお世話ですが、事情も知らないで勝手にいろいろ想像してしまうのです。
しかし考えてみれば、歴史や伝統など、おおよそ残っているものはすべて、人々の懐古趣味が保存させている一面があるのかもしれません。
でも、今でもしっかり残っているものは、単に古いだけでなく、やはり見えない所で、リニューアルしたり、裏では相当努力しているものです。
そういった意味では、こういった淘汰は健全かも知れません。
建築会社の金剛組は、世界最古(西暦578年創業)の企業ですし、日本には常識では考えられないくらい古い企業が多数存在します。
そもそも皇室自体が、2000年以上続く最古の家です。
かのローマ法王ですら天皇家に対しては、自ら出向きます(ヨーロッパの王家は、通常法王に上座を譲ります)
とても長く続く企業や組織は、たゆまぬ努力と、柔軟さ、地道さ、謙虚さがある気がします。
それとやはり、創業者の性格や遺伝子が、ずっと受け継がれているようです。
天皇家は、「民のかまど」の逸話や、パナソニックの松下幸之助の経営理念は、今でも受け継がれ続けていると思います。
幕末の鳥羽伏見の戦いでは、津藩(藤堂)の寝返りが勝敗を決定づけたと言われますが、当時「その行い、藩祖(藤堂高虎)に似たり」と揶揄されたそうですから、いい意味でも、悪い意味でも、何百年もその遺伝子(社風など)は、受け継がれるのでしょう。
そう考えると、もしも私のお店が、私が死んでからも残る(ありえないですが)なら、どんな形で残されるのか興味深いです。
そもそも私自身が、親や先祖の遺伝子や性格を受け継いでいる訳ですので、遺伝子の塩基配列にせよ、組織にせよ、何でも受け継がれていくことは偉大だと思います。
先のお寿司屋さんにせよ、たとえお店自体は無くなっても、人々の記憶や、その何らかの遺伝子は、大きな意味では、地域の文化やひとの心に受け継がれていると確信します。