改善は自己責任
先日、また浅草で飲みました。
今回は、以前に紹介したお店と違う店にしたのですが、そこが大外れで、生ビールは発泡酒っぽく(これは別のお店の話ですが、熱燗を注文したら、お銚子に焼酎のお湯割りが入っていたことがあります)、料理は冷めているし、店員の接客態度は悪いし、気分が悪いのですぐにまた前回のお店に変えました。
浅草は観光客が多いので、「いちげんさん」でも商売が成り立つので、羨ましい限りです。
もしあのお店が、普通の駅前や住宅街で営業しても、リピーターは来ないでしょう。
それでは、いずれ潰れてしまいます。
目先の利益か信用か、その選択は普通、出来ないはずなのですが、立地条件さえ良ければそれも可能なのでしょう。
もしくはあのお店も、最初からそうだった訳ではなく、黙っていても客が来るので徐々に傲慢になって行ったのかもしれません。
これは恐ろしい話です。
何もこれは、このお店だけの話ではなく、人生すべてに通じます。
何でも当たり前だと思っていると、ありがたみが無くなり、刺激も無くなります。
よく日本人は、水と安全はタダだと思っているといわれますが、海外に行くとそれは間違いだと思い知らされます(私も1年間のフィジー留学では、いろいろとひどい目に合いました)
なんにせよ世の中の、いわゆる既得権益といわれる類のものは、こうやって出来上がるのでしょう。
既得権益といえば、諸悪の根源といったイメージですが、人間は勝手な物で、もし自分がその立場に立てば、それを守ろうと必死になります(もちろん私も例外ではないでしょう)
なので、変革には外圧が必要不可欠なのですが、外圧が来なければ、ずっとそのままでしょう。
それは本当に幸せな事なのかは、疑問です。
しかし世の中上手くできていて、ずっと続くことはありません。
日本のバブルは崩壊しましたし、少子高齢化が加速し、年金も財政も破綻しそうです。
中国が台頭していますが、それも砂上の楼閣だともいわれています。
個人レベルでも生涯安心、安定した人生を送ったひとはいないかもしれません。
今の70歳以上の高齢者は、戦争体験者ですし、政治や世の中の出来ごと以外のもっと個人的な事柄でも、いろいろとあるものです。
そう考えると上手くできているなと思います。
問題を先送りにしていても、あとからそれは追いかけて来ます。
若い頃は、まだ良いとしても、ある程度年齢を重ねると、先送りにしてきた事の後悔や重圧は、大きい物になってしまいます(私も痛切に感じています)
かといって外圧がなければ、本人から変わることは無い。
俯瞰的に見れば、今の日本の状況も、仕方がないことかもしれません。
そうやって歴史や人生は、作られるのでしょう。
問題点に気付かないうちは仕方がないにしても、気付いたのなら改善は出来るはずですし、そこからは完全に自己責任です。
その自浄作用が、どれだけ出来るかが、繁栄や成長を長くもたらす鍵なのでしょう。