やり続けること
昨日、松井秀喜氏が、プロ野球OB戦で久しぶりに巨人のユニフォームを着て活躍しました。
彼は私と同い年なので、ずっと応援してきましたし、なにかと気になり続けて来た人です。
それこそ、あの甲子園の5打席連続敬遠から、ずっとです。
あの敬遠のニュースは、かなり賛否両論になっていた記憶がありますが、気が付けばあれからもう22年です。
当時、私も松井氏もまだ高校3年生だったのが、今年でもう40歳。
彼と自分の人生を比較するのは、不遜ですし、やり遂げた中身も余りにかけ離れ過ぎていますが、過ぎた時間だけは平等です。
日本だけでなく、アメリカでも大活躍し、人々から尊敬された素晴らしい人生。
彼の活躍は、嬉しさと同時に、私の焦りも掻き立てます。
偉大な事を成し遂げた人生と、まだ何一つ成し遂げられていない人生では、比較にもなりませんが、それだけの時間が過ぎ去ってしまった現実を私に教えてくれます。
考えてみれば、ほとんどのプロアスリートは、幼少期からずっと、ひとつのことをひたすら、「やり続けて来た人たち」です。
社会的には若年とはいえ、その道のキャリアで言えば、20年~30年あるわけですし、それを一般の会社員で当てはめれば、40代~50代の管理職に匹敵する経験値ですので、たいへん立派な物です。
しかも、とんでもない競争率を、勝ち抜いてきたひとでもあります。
150kmで飛んでくる小さな球を、バットで打ち返し、ホームランする技術など、普通の人間に出来ないとんでもない芸当が出来ると、何億円ももらえるのは当然のことかもしれません。
才能の問題もあるでしょうが、才能だけでそこまで行くことは不可能ですし、そこまでひとつのことを「やり続けること」が出来る人は、なにをやっても成功するでしょう。
松井氏と私の一番大きな差は、この部分だと思います。
私は高校3年生だった、あの22年前からやり続けていることは、なにひとつありません。
しかし松井氏は、あれよりもずっと以前から、同じ「野球」を続けているのです。
「好きこそものの上手なれ」とはいいますし、大きく報われれば、モチベーションも上がるでしょうが、これだけひたすら打ち込めるのは、それこそが一番の才能かもしれません。
私は35歳で、今の仕事に就きました。
まだ初めて5年ですが、これまで手ごたえを大いに感じていますし、自分にとって天職だと思っていますので、あとはひたすら「やり続け」て行きたいです。