リーダーシップ
歌手の長渕剛さんんが、今年の紅白歌合戦で新曲を披露するそうですが、もうそんな話題を聞かされる時期(年末)が来たんだなと実感します。
紅白歌合戦は、戦後の日本の文化のひとつといっていいほどのものですが、最近は以前よりも視聴率が低迷し、お笑いや格闘技などの裏番組にも負けそうになり、存続も危ぶまれた時期もありましたが、なんだかんだでずっと生き残っています。
長渕剛さんなどもそうですが、大昔では出場が考えられない人物も目玉として出すことによって話題を作ったり、司会をジャニーズと絡めてそのファン層を取り込んだりと、なにかと変化に対応した努力の結果でもあるのでしょう。
なんでも続ける事は難しいものだと思います。
この先どんな変化をしていくのかわかりませんが、歌はひとを感動させ、希望や勇気を与えてくれる存在ですし、毎年毎年、新たなヒット曲が生まれる訳ですので、出場者が変わっても、この先まだ何十年も続いていく可能性があります。
企業などでも、やることの中身は変わっても、メンバーは変わっても、長年続いている組織はたくさんありますし、これらも同じく変化に対応してきた努力の結果でしょう。
その共通点はどれも、その活動が社会にとって有益だった、そのニーズに答えたという点です。
けしてリーダーのエゴだけでは、組織は存続できません。
話は大きくなりますが、国家という単位も同じかもしれません。
その多くの場合、同じ民族や宗教、思想、理念などによって人々が集い、統治機構を形成するわけですが、これも統治者である王や政治家が、自分の利益だけを追求すれば、いわゆる暴君になり、やがては国民の支持を失い滅んでしまいます。
国のリーダーは常に国民や社会の利益のため、政策を行う強いリーダーシップが問われるのです。
しかし、この力が弱まると、官僚が国を支配したり、政治家の派閥争いや党利党略、軍部が国のコントロールを離れ、独自の思想で動き出したりして、国がバラバラになってしまいます。
逆に個人の生活でも同じかもしれません。
自分の中にあるリーダーシップの力が弱まると、自分の中のそれぞれの欲望が独り歩きし、それぞれがてんでバラバラの行動を取るため、運動もせず欲望のまま飲み食いし、健康を害したり、好き嫌いだけで行動し、人間関係がこわれたり、仕事や勉強をなまけたりと、生活が破たんします。
番組も、企業も、国家も、はたまた個人の生活も、結局は、決して利己的ではないあり方をもって強いリーダーシップ(意思の力)持たなければ、素晴らしい結果を出すことは出来ないのでしょう。