最後は思いやり
ローマ法王が、イスラム教の預言者ムハンマドの風刺画を掲載するなどしたフランス週刊紙シャルリエブドの銃撃事件をめぐり、「他者の信仰をもてあそんではならない」と述べ、表現の自由にも一定の限度があるとの考えを示した、とのこと。
まさに正論、その通りだと思います。
ところが、フランスでは国会で10年ぶりに国歌を歌ったり、空爆のため主力空母「シャルル・ドゴール」を出撃させたりと、もう完全に戦争状態です。
かつてフランス革命を成し遂げたお国柄なので、「表現の自由を守るため」と一致団結するのは分からなくもありませんが、なんとなくもどかしさもかんじます。
9・11からアフガン・イラク戦争に突入していった流れを、再現しているかのようです。
ただ今回の場合は、事件を起こしたのはイスラム系の移民2世だといわれていますし、イスラム国自体、アフガニスタンやイラクと違い独立した主権国家ではありませんので、格差社会の不満、宗教紛争、テロとの戦い、ナショナリズム、移民問題、石油利権など、多くのテーマを含んでいます。
私はかつて、フィジーで留学のために1年間暮らしていた時、友人とムスリムのモスクに入ったことがありました。
無人だったので、どんどん奥に進んで行くと広場があり、おそらく礼拝に使われる
場所なんだと思っていると、奥から血相を変えた守衛が走って来て、凄い剣幕で「出て行け!」と言われました。
私はイスラム教徒の怖さ(信仰心の強さ)を知っていましたし、黙って入ったのはこちらが悪いので、すぐ謝って出て行こうとしましたが、連れの友人は若く、そこらへんがイマイチピンとこなかったらしく、逆切れして、その男に食ってかかろうとしました。
確かにその守衛の態度はかなり悪かったのですが、私はヒヤヒヤしながらその友人をなだめ、その場を出た記憶があります。
友人の若気と、無知は恐ろしいものだと思いましたしが、逆にカトリックの教会は、凄くオープンで、私たち日本人留学生などの異教徒にも寛容で、見学も自由でしたし、礼拝にも参加させてくたので、仕方ないかもしれません。
ホームステイ先の父が亡くなった時は、私も親族の席で、告別式に出席させてもらえたくらいです。
そんなこともあって、イスラム教の排他的な雰囲気は、正直好きになれませんが、それぐらい真剣に信仰している対象を冒涜されれば、無茶もおこすだろうとは思います。
民主主義や表現の自由は大切。
信仰心も大切。
民主主義の素晴らしさは、「私はあなたの意見には賛成できないが、あなたの意見は尊重されるべきだ。」まさにこれにつきます。
ところが世界には、この価値観がまだまだ理解できないひとたちが多い(というより民主主義の方が人口的には少数派)
自分たちの物差しや正義を振りかざすだけではなく、相手の理解の程度を見極めたり、お互いもっと冷静になって欲しいものです。
ユダヤ教も、キリスト教も、イスラム教も、すべてアブラハムの子孫であり、もとはといえば、みな同じ神(ヤハウェイ)を信仰しているのですから。
最後に大切なのは、ひととしての「やさしさ」や「思いやり」なのかもしれません。
なんでも本質や根本に目を向けることが、大切だと思います(もちろん世界で起きている問題は、そんなに単純ではありませんが)