あれから20年
阪神淡路大震災から今日で、ちょうど20年が経ちました。
私は当時、大阪の淀川区に住んでいたのですが、あの日の朝のことは忘れられません。
午前5時46分、もちろん眠っていたのですが、ちょうど眠りが浅くなっていたのでしょう。
初めに「ゴー」という大きな地響きが起こって、それが底の方から登って突き上げてくるのがはっきりと分かりました。
それが上まで来た瞬間から、地面が揺れ始めました。
朦朧とする意識の中で、「あー地震や~」「揺れてる~」とのんきに思っていましたが、揺れがだんだん激しくなって部屋がきしみ始めると、怖くなってきました。
当時住んでいた実家は、古い木造家屋で、私の部屋は2階にありました。
あちこちからバキバキという音が聞こえて来ます。
私は当時20歳でしたが、もちろんこんな揺れは生まれて初めてです。
それまで関西では地震が無いと思い込んでいたので、「まさか、まさか」です。
まったく心の準備も無いまま、目が覚めたら地震が来て、布団から出ることも出来ないまま、このまま家屋が倒壊すると思いました。
生まれて初めて、「死」を意識しました。
短い人生だった、「人間死ぬ時はこんなもんかな」それにしても唐突すぎると思いながら、なんとか祈るような気持ちで、揺れが収まるのを待っていましたが、家屋のきしむ音がどんどん激しくなります。
そして、「もうあかん!」と思った瞬間、やっと揺れが収まりました。
その直後、家の玄関が空き、向かいに部屋を借りて住んでいる兄が、「大丈夫か!?」と叫んでいました。
1階には母が寝ていましたが、どうやら無事のようです。
私も階下に向かって、無事を知らせました。
それにしても、兄は凄いと思いました。
あの揺れの中を、すぐ布団から跳ね起きて、アパートの3階から階段を転げる様に降りてきたと言うのです。
私は怖くて、結局布団から出ることも出来なかったので、とても情けなく思いました。
そのあとは停電しているので、なんとか懐中電灯やろうそくを探して明かりを確保し、もちろんテレビも見られないので、電池式のラジオをつけました。
とにかく情報が欲しくて、なにがどうなっているのか早く知りたかったです。
ラジオでは、震源は淡路島沖と言っていましたので、すぐ隣の神戸は壊滅だろうと思いました。
しばらくすると、遠くからサイレンが鳴り響いて来ました。
それからもう一日中なりっぱなしです(すべて神戸方面に応援で向かったのでしょう)
電気が復旧しテレビがつくと、とても信じられない光景を目にしました。
日が昇り、明るくなると外に出て、街を見回って来ましたが、十三大橋の手前の道路が陥没しているし、あちこち地割れはしているし、看板は落ちているし、もちろん神戸に比べれば大した被害ではないのですが、それでもショックでした。
あれからもう20年、そのすぐ後に地下鉄サリン事件があり、凶悪事件や大災害など、日本では随分ひどいことが続きました。
東日本大震災の時は東京にいましたが、ゆっくりとした横揺れなので、阪神の激しい縦揺れの経験から震源が遠いことが、すぐに分かりました。
私自身も、車で事故ったり、強盗にナタで頭を殴られたりと、ひどいめに会いましたが、今でもこうして生きていられることに、ただただ感謝するばかりです。
人生はいつ終わるか分からない。
だからこそ、悔いの残らないよう一生懸命生きなければならない。
その気持ちを新たにする、いい機会だと思います。