湯豆腐
先日、1月20日は「大寒」でした。
ここから2月3日の節分までが、暦の上では1年で一番寒い時期といわれます。
この時期に、武道ではわざと厳しい寒稽古をしたりするそうですが、寒がりの私にはとても耐えられません。
あまりに寒いので、久しぶりに湯豆腐が食べたくなり、この冬初めて作ってみたら本当に美味しかったです(湯豆腐を飲み込んだ時、熱い豆腐が食道を焼きながら、ゆっくりと胃袋に降りて行く感覚が好きです)
こんなに美味しいなら、もっと早くから作ればよかったと後悔するくらいですが、まだまだ寒い時期は続くので、湯豆腐や鍋物を楽しみたいと思います。
父親がお鍋や、すき焼きが大好きで、昔はよく食べたのですが、鍋物はご飯のおかずにならないし、子供の頃は正直嫌いでした。
しかし、徐々に大きくになるにつれ、魚や野菜の美味しさが分かるようになり、本当に美味しく感じる様になりました。
今では父の気持ちがよく分かります。
湯豆腐といえば、京都の銀閣寺の近くにある専門店で食べた湯豆腐が思い出に残っています。
京都のことを考えると、また行きたくなります(京都はどの季節も素晴らしい)
関西に住んでいた頃は、日帰りで行けたのに、今では京都は「旅行」ですので、なかなかお手軽には行けません。
今にして思えば、京都や奈良が近いなんて、素晴らしい環境だったと思います。
もっと頻繁に行っとけば良かったです。
湯豆腐には他にも思い出があり、大阪の実家にいた頃、すぐ近所で親戚のおじさんが豆腐屋さんを経営していて、豆腐はそこで購入していました(おじさんは同じく親戚の経営するレストランチェーン「すし半さと」「現・和食のさと」にも納品していました)
歩いてすぐなので、よくお使いに行かされました。
金物のボウルを持って行って、直接そこに入れてもらうのですが、それを運ぶのが嫌で嫌で仕方がありませんでした。
金物のボウルを抱えて歩くのが、子供心に恥ずかしかったのでしょう。
湯豆腐の日は、5人家族なので特に大きなボウルを持たされました。
実家は商店街が近く、家の前を常に人が頻繁に往来しているので、友達や知り合いにもよく会います。
今にして思えば、馬鹿馬鹿しいことですが、私は子供の頃は人目をばかり気にする内気な少年でしたので、ボウルを抱えて歩いている姿なんて、絶対にクラスメイトには見られたくありませんでした。
現にそれを目撃され、次の日、学校で冷やかされたこともありました。
今となっては、昭和時代の大阪下町の平和ないち風景として、とても良い思い出です。
やがてバブル景気になり、そのおじさんも店をたたみました(たしか億単位で売却していました)
それ以降は、実家でも豆腐はスーパーで買う様になり、どんどん街も世の中も変わって行きました。
しかし最近では、大昔のように豆腐屋さんが、ラッパを吹いて売り歩く姿を、ときどき見かけたりすることもありますので、あれは風情があっていいものだなと思います。