マサオのブログ

よもやま話ですが、何かのお役に立てれば幸いです。

明確な目標

信長が築いた小牧山城の石垣が、当時の技術の限界を超えるほどの高さだったのが、発掘調査で分かったそうです。

これまで小牧山城と言えば、美濃の稲葉山城(後の岐阜城)攻略のための、足掛かりの軍事拠点というイメージでした。

稲葉山城攻略後は、すぐそこに拠点を移している事を見ても、私はそれほど立派な城というイメージは持っていませんでした(大きな「砦」程度だとも)

稲葉山城を大改修して今日の天守閣を作り、天下布武を宣言して、城を権力の象徴や政治宣伝に利用する構想を、昔から持っていたのかもしれません。

それが、のちの安土城にも受け継がれていく訳ですので、彼の人生は、非常に計画的にすすめられて行ったのだと思います。

なにもない弱小勢力だったときから、気持ちはすでに「王者」だったのでしょう。

確かに、ビッグになる人物は、無名時代から言動や行動が大胆不敵で、昔から自分がそれにふさわしい人間だと考えていた、などというエピソードは良く聞きます。

そういうマインドでいたからこそ成功したとも言えますし、面白いなと感じます。

自分が大きな存在だと信じていなければ、大きな仕事は出来ない。

もちろん実力を伴っていなければ、いくらそう考えても実現できませんので、それだけ努力もするわけですが、大抵は挫折してしまいます。

運もあるのかもしれませんが、それだけずっとモチベーションを維持できるのは、超人的です。

私が一番感心するのは、能力の高さよりも、折れないその「心の強さ」です。

難攻不落と言われた稲葉山城を、何度も撃退されながらも、7年も掛かって攻略しえたのは、この心の強さによるところが大きいのではと思います。

しかも、過去の軍事行動の失敗から学び、戦術レベルではなく、外交や調略を駆使して戦略的に城を奪いました。

私の好きな、銀河英雄伝説でも「戦術的勝利では、戦略的勝利を覆すことは出来ない」という有名なセリフが出て来ますが、信長の天下布武は、まさにそれを証明しています(信長は信玄や謙信には、戦術レベルではかなわなかっただろうといわれています)

秀吉の「小牧長久手の戦い」においても、このことが証されています(戦術的には家康が勝利したが、結果は秀吉の戦略的勝利)

では彼らを支えた超人的な意思の力の源は、なんだったのでしょう。

それは、「目的が明確」だったからでしょう。

これを成し遂げる、そのためには何が必要かを常に考えた結果、大きな視点で行動出来たのだと思います。