マサオのブログ

よもやま話ですが、何かのお役に立てれば幸いです。

楽観と覚悟

よく、「10年後の自分は、どうなっているだろうか」などという質問があります。

私も、ときどき考える事があります。

しかし、いつも漠然としていて、あまり明確なイメージが湧いて来ません。

「こうなっていたいな」とか「こうなっていてほしいな」という感じです。

高校1年の頃に、この質問をされた時は、単純に「大人になって働いている」だろうとか、「もしかしたら、婚約者がいるかもしれない」とか、いったぐあいで、なんら具体的ではありませんでした。

もちろん、バブル崩壊や、20年以上にわたる不景気が来るなんて、当時は知る由もありませんでしたので、なんとなく、漫然と、それなりに働いて、人並みな生活は出来ているだろうと、単純に未来を楽観していました。

本当に何も考えていませんでしたので、今にしてみれば、もったいないし、なんて愚かで、おバカな人間(これは今でも)だったろうと思います。

やはり若くして結果を残す人は、子供の頃からいろいろ考え、将来が明確だったがゆえに、いい結果を残しているのだと感じます。

もしくは、そういった「教育のたまもの」なのでしょう。

何も考えずに育ち、いやいや仕方なく就職した私は、その後転職を繰り返し、今の自分に行きつくまで、随分時間を要しました。

もちろん、この先どうなるか分かりませんし、今でも10年後どうなっているかは、やはり「こうなっていたいな」とか「こうなってほしいな」ですので、昔より多少マシにはなったものの、実はあまり変わっていない事に、これを書きながら気づいて、軽くショックです(やっぱりおバカ)

しかし、10年後の自分の未来を的確に予測できるひとは、なかなかいないとも思えますので、目の前のテーマを頑張るしかないのかもしれません。

努力は必ず報われるとは限りませんが、自分の過去を振り返っても、その時、その時を、それなりに頑張ったからこそ、その後の新しい展開が、生まれて来たのは確かです。

それがあるので、今は昔よりは、落ち着いていられます。

少し自分に、自信も付いて来ました。

もちろん不安に駆られることもありますが、未来は考えても仕方がない、予測不能の要素が多すぎて、ネガティブさが馬鹿馬鹿しくなります。

未来を楽観しているのは、昔も今も同じですが、昔と違い根拠のない楽観ではなく、今の自分は、たとえどんなことになっても「自分でその結果を、全部引き受ける覚悟がある」からこそであり、いつでもゼロになる覚悟や、そこからやり直す覚悟があるからなのでしょう。