危機感と想像力の欠如
今朝、看板を出す時に、ゆっくり、ゆっくり通り過ぎる人がいたので、思わずこちらの看板に興味を持って見てくれているにかなと期待して振り返ると、ただの歩きスマホでした。
30代位の男性でしたが、顔をスマホにのめり込むように下げ、まったく自分の世界にはまっていました。
危ない事、この上ありません。
私は外を歩くときは、ほとんど無意識で、周囲を気にしています。
狭い歩道のど真ん中を、歩いたりは絶対にしません。
たとえ前に人がいなくても、後ろから自転車や歩行者が来るかもしれませんし、ほとんど考えなくても、もしくはなにか考え込みながらでも、無意識に周囲を観察します。
自動車を運転する人なら分かるでしょうが、危険予測は安全運転の鉄則です。
見通しの悪い交差点では、急に飛び出しが有るかも知れません。
コーナーを曲がるときは、あらかじめ減速して進入します。
それがマナーであり、安全のためのルールです。
確かに免許がない人やペーパードライバーは、道路事情に疎いのは仕方がありません。
しかし日本は平和だと言いますが、通り魔事件もあり、肩がぶつかったとかで喧嘩になったり、そもそも人も車も多くて、事故はしょっちゅう起こっています。
そんな中で、何にも考えないで、ぼーとしている人は、生き物としての能力が落ちているとしか思えません。
動物として最低限持っているはずの知覚力が、欠如しています。
危機感や想像力の欠如。
温室で育てば、仕方がないのかもしれません。
私の場合は世代的に、少年時代は学校が荒れていて、ヤンキー同士の喧嘩やカツアゲが絶えませんでした。
海外で強盗に襲われた経験もありますし、格闘技にも興味があるせいもあり、そういった背景からも自然に用心深くなりました。
走り屋の真似事をして自動車でも手痛い事故に遭いましたし、阪神大震災や、父の病死など、割と人の死を意識しながら生きて来た背景もありますので、私と比較するのは、ちょっと行き過ぎかも知れませんが、それにしてもひどい人が多いです。
身の回りの事に対し「何も考えない」「興味もない」そんなひとが、増えている気がします。
しかし時として、一瞬にして、その油断が後悔に変わります。
その時、初めて現実を知るのです。
何も命の問題だけでなく、これは生活のすべてに当てはまります。
これほど頻発しているのに、無くならない「オレオレ詐欺」なども、この典型だと思います。
少しの想像力と働かせれば防げるのに、「物事はどうあるべきか」を考えれば、少し冷静になれば、その本質や答えが見えるはずです。
理想論ばかりを振りかざす、頭がお花畑の人を見て、時には羨ましく思える事もあるのですが、やはりとても危険です。
生きる事の本質はサバイバルであることを、もっと学ぶ事が大切です。