ラウトカ学生寮強盗事件 その3
今日はフィジー共和国や事件のあったラウトカの街についてご説明します。
フィジーは南太平洋の島国で大小300余りの島々に約80万人が暮らしています。
主要産業はサトウキビ栽培などの農業と観光。
人種の約50%がフィジー系で、約45%がインド系、その他5%です。
公用語は英語で、日常会話はフィジー語、ヒンディー語が話されています。
長い間イギリスの植民地だったので、言葉や食事、習慣など、文化的にはイギリスの影響がかなり残っています。
インド系の人々は植民地時代にインドから労働力として連れてこられた人々の末裔です。
宗教もカトリック、イスラム、ヒンズーなど様々で、フィジー系とインド系は仲が悪く、お互いあまり干渉せずに暮らしており、混血も少ないようです。
とても貧しい国なので、治安もあまり良くありません。
銃は規制され、殺人などの重犯罪は少ないですが、強盗や窃盗などは頻発しています。
フィジー系の人々はポリネシアの人々に多く見られる特徴ですが、体格も大きくしかもラグビーが盛んな土地柄なので、見るからに屈強な男性が多いです。
こう言った背景があるので、金持ちの観光客は非常に狙われやすく、ましてや体格の劣る日本人は格好の標的です。
ラウトカはフィジーの第二都市なので人口はある程度多いのですが、観光資源が無く、サトウキビ工場が支える街でしたので、街も汚く、地元の人々で支える観光客がめったに来ない場所です。
そんな中で、日本人留学生は一人ひとりがパソコン、携帯電話、携帯型音楽プレーヤーを持って暮らしているので、彼らからすれば大変裕福に見えてしまいます。
私の通っていた学校は地元の小学校に併設されており、学生寮はそのすぐ隣でした。
周りは病院や公園、住宅街で、敷地は表通りから少し入った所にあり、夜になると真っ暗で隣が藪になっており、建物も塀や柵もなく、強盗や泥棒にすれば狙って下さいと言わんばかりの状態です。
例えるのなら猛獣の檻の中で肉をぶら下げているのと同じでした。
学校側も夜は外出を控え、移動は必ずタクシーを使うように言っていましたが、時々守らずに荷物をひったくられたりする生徒はいました。
それは不注意のいわば自業自得でしたが、事件の2ヶ月前位から、寮の敷地内に不審人物が侵入して、女性を襲おうとしたり、昼間生徒がいない時間帯を狙って寮のドアを破ろうとしたり、いずれも未遂でしたが、生徒たちの間では不安の声が上がっていました。
学校側もその声を聴き、寮の敷地内に事件の少し前より警備員を配置してくれていましたが、日本の多くの場合と同じく、高齢のいざと言う時にはあまり頼りになりそうでない感じの人たちが、常駐2人交代で24時間敷地内を監視していました。
それでも最初は安心しましたが、もしかしたらそのうち大勢で襲撃に来るんじゃないかと不安視する声は一部で上がっていました。
事件はそんな中で起こったのです。