「国政員制度」直接民主制と政党不要論
昨晩、ジョギング中に、ある事を思いつきました。
それは「裁判員制度」ならぬ「国政員制度」です。
最近、「秘密保護法」や、猪瀬知事の徳洲会との「裏金疑惑」関連のニュースを見て、選出された議員によるいわゆる「間接民主制」の弊害を考えていました。
なぜ国会で与党は、「秘密保護法」をはっきりと「スパイ防止法」と言わないのか、なぜここまで急ぐのか、理由が分からず不思議に思います。
逆に一部の野党やマスコミは「これが軍国主義の始まり」などと極端な意見を出し、いたずらに危機感を煽ります。
これに限らず、いつも野党は何でもかんでも反対です。
そして与党は、それを無視して数の論理で強引に法案を通します。
与党議員で不満があっても、党議拘束で仕方なく同意している人もいるでしょう。
逆に野党議員も然りです。
「政党制」と「議会民主制」ですので仕方がないのですが、「間接民主制」で本当に民意は反映されるのか、いつも疑問に思います。
私は大半の日本国民と同じく、特定の支持政党のない、いわゆる「無党派層」です。
そして民主主義と自由主義経済が、色々問題はあり、最良とは言いませんが、世界を見ても今の所、社会構造としてベターだと思っています。
この国の平和や秩序、安全保障や国益に関係する法案であれば、何でも頭ごなしに反対するつもりはありません。
しかし説明不十分で理由が不明確なまま、法案を通されるのは怖いです。
もしそれが、役人の既得権益を守るために悪用される可能性のある法案なら尚更です。
右翼や左翼、特定の企業や団体など、バイアスのかかった意見ではなく、公平な意見や議論、事態の本質が、ニュースからは見えて来ません(単に私の勉強不足もありますが)
そこまで急がなければならない程、何か危機が迫っているならいるで、それを国民に伝えれば、大半の国民からは理解を得られると思います。
たとえそれが隣国の覇権主義に基づく、悪意ある攻撃からの防衛や、世界の超大国の圧力であってもです。
マスコミは、事の本質を捕え、常に公平かつ冷静に真実を伝えて欲しいです。
そこに作為的な味付けはいりません。
偏った報道は、特定の人々の思惑や圧力、作為が見え隠れして不愉快な気持ちになります。
世の中には、理想と現実があり「その狭間でいかに折り合いを付けるか」そして「どの選択が将来的に理想に近づく最良な方法か」を判断するのが、政治や会社経営から組織運営、そして個人の人生選択にも当てはまる大原則です。
正確で客観的な情報で、状況を正しく理解すれば、誰もが冷静な判断を下せると思います。
ともかく国民が「蚊帳の外」的な状況は良くないと思います。
政治の裏金にしても、特定の団体が組織票を使い、いわゆる「族議員」を選出し、自分たちの既得権益を追求しているために、たびたび起こります。
これも間接民主制の、ひとつの弊害でしょう。
民主主義本来の理想は、すべての人民による「直接民主制」ですが、それが不可能なので「間接民主制」を取りました。
しかし選挙で選ばれた議員は、どうしても党利党略、団体の意思、個人的な野心など、それぞれのバックボーンに左右されます。
政党政治は議員の選出や議会運営に役立つシステムですが、その時々の民意を完全に反映させるのは不可能です。
どうしても党利党略や、特定の意見のみが反映される恐れがあります。
それを防ぐためにも、「裁判員制度」の様に、「無作為に選びだされた老若男女が、国会の会期中のみや、重要法案成立の是非を問う形で参加すれば、公平な判断が出来るのでは」と、ジョギングの終わる直前に、ひらめきました。
それが、冒頭でも書きました「裁判員制度」ならぬ「国政員制度」です。
(ジョギングは長時間していると、頭が「トランス状態」になり、考えが整理され、アイデアが浮かび易いのでおすすめです)
このネーミングは、自分でもセンスがないと思いますので、名前は「政策審議員制度」でもなんでも良いですが、これで「直接民意を政治に反映出来るのでは」と思います。
現実的に考えると、素人に内容を十分理解させたり、議論出来るレベルまで、誰が公平に説明や教育をするのか、そして政党が無ければ、そもそも誰が政府を運営するのかなど、実現させるには色々な問題があり、現実には荒唐無稽な話です。
しかし、裁判員制度が機能し始めているのを見ると、今のシステムに、少しづつ上手く組み込んで行けば、国民の「部分的な直接参加」は不可能ではない気もします。
インターネット投票と言う方法もありますので、「直接民主制」は将来的には実現可能かも知れないと思いますし、議論する余地はあると思います。
最終的には、私達ひとりひとりが、良心、モラル、見識、経験、哲学、他人の思惑や特定の集団の利益の為ではない「自立した自身の判断」に従い、自分の意見を政治に反映させられる社会が来て欲しいです。