七つの大罪
久しぶりに映画「セブン」を見ました(お決まりの午後のロードショーの録画です)
95年の作品なので、公開からもう19年も経ちます。
95年は、阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件、Windows95発売によるインターネット元年であり、アニメなどのサブカルチャーではエヴァンゲリオン、そして私の社会人生活の始まりの年でもあり、非常に思い出深い年です。
この年を境に、良い意味でも悪い意味でも、それまでと随分世の中が変わった気がします。
セブンはデビッド・フィンチャー監督の出世作で、同時にブラッド・ピッドの出世作でもあります。
私は当時、デビッド・フィンチャーを、デビッド・リンチと勘違いしていました。
どちらも名前がデビッドで、リンチの方が先に有名になっていたせいですが、今ではフィンチャーも名監督です。
この人の作品は、基本画面が暗く全体的にネガティブで独特です。
作品中でもほとんどが雨のシーンで、この監督は、エイリアン3でもそうですが、暗いウエットな画面を上手く撮ります。
でもこの独特な世界観には、何故か引き込まれてしまいます。
犯人(ケビン・スペイシー)もベテラン刑事(モーガン・フリーマン)も、非常に哲学的で、人間や世の中に絶望しているのですが、その間にいる新人刑事のブラピが、バランスのとれた普通の感覚の存在として配置されているものの、最後には一番の悲劇の人物になるという皮肉めいた救いがたい結末で後味の悪い映画です。
私は、このブラピのわざとらしい演技が苦手で、昔から「この小僧!」(私より年上ですが)と思ってしまいます。
自分を良く見せる為の強いこだわりは、スターやあくの強い俳優には誰にでもありますが、なぜでしょうか、彼の演技はどうも好きではありません。
私の永遠のヒーロー、スティーブ・マックイーンや、ロバート・デニーロの演技やこだわりとは違うのです。
いつもどこか、あざとさや狙い過ぎの軽薄さが漂います。
ブラピは、それまでもアイドル的に騒がれていましたが、この映画では、決してヒーローではなく、その軽薄さを逆手に取られ、気の毒な目に何度も会います。
そこが良かったのでしょう、この作品では見事にハマりました。
それは彼自身の計算なのか、それを狙った監督や演出の腕なのかは分かりませんが、よく出来ています。
それはともかく、対照的にケビン・スペイシーや、モーガン・フリーマンの演技の上手さが引き立ちます。
昔見たときには、これほどまでとは気が付きませんでした。
今回は内容や結末を知っているので、演出や演技に注目出来たし、そこにとても感動しました。
サスペンスホラーの2大名作といわれる「羊たちの沈黙」と「セブン」
精神科医は、道を一歩間違えば、異常者と紙一重(それどころかミイラ取りがミイラになる)
追う方も、追われる方も、実は中身は同じ穴のムジナ(本質は非常に似ている)だったりする。
そこを上手く描いた良作です。
95年は、とかく嫌な事件やニュースが多く、それらともリンクしている不思議さや不気味さも感じます。